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タクラマカン砂漠探検 (6
幻の王国に立つ
 
タクラマカン砂漠探検 (1)
タクラマカン砂漠探検 (2)
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タクラマカン砂漠探検 (5)
タクラマカン砂漠探検 (6)

■ それは、まさに100年の昔、満々と湖水をたたえた恵の湖・ロプノールで漁を営みながら生活していた漁民たちの集落跡だった。

 ロプノールの漁民は、スウェーデンの探検家に発見された後はほとんど記述がなく、湖の移動・枯渇とともに移住したとも、戦乱で皆殺しにされたとも、伝染病で全滅したともいわれているが、今だに確たる証拠が示されているわけではない。

 しかし我々の目前にあるのは、間違いなく漁民が暮らした葦を編んだ粗末な住居と数十人分の人骨であった。
 いくつかの頭蓋骨を手に取って、素人なりに何らかの手がかりが見出せないかと思ったが、目立った破損などもなく、我々にその謎を解く術はなかった。

 その後は、最後のヤルダン地帯へと踏み込んだが、さすがの砂漠車でさえも前進が不可能なほどヤルダンの波は大きく、深くなり、ついに我々は車両での前進を諦め、徒歩で向うことになった。

 チャルクリクを出て7日目。GPSは楼蘭まであと4キロを示していた。

 ひと言で4キロとはいえ、ヤルダンのゆるやかな場所を左右に選びながらの4キロである。実際には10キロ以上歩いただろう。

 1泊分の必要最小限の荷物(といっても一人30キロ近い)を担ぎ、車両には念のため2名を残した。遥かヤルダンのうねりの先には、かすかに仏塔が見え隠れしている。

 登山用の杖に身体を預け、時には立ちはだかるヤルダンの壁を攀じ登るようにして一歩一歩前進していくと、足元には約2000年前のものと思われる石器や銅鏡、古銭などを見かけるようになった。

 我々のキャラバンには、新疆自治区博物館の副館長も同行していたが、原型そのままの銅鏡や石器の発見に興奮した様子だった。持ち帰って、博物館に展示するという。

 そして、歩くこと3時間。棒のようになった脚を引き摺りながら、ようやく楼蘭故城に到着。

 これまでわずかな文献や小説でしか見たことがなかった幻の王国に今自分が立っているという現実を受け止めるまでに多少時間を要したが、その喜びは何ものにも代えがたいものだ。

 その情報や資料の少なさから、“砂漠の貝” ともいわれる楼蘭故城内には、シンボルの仏塔や官庁跡といわれる三間房の他、いくつもの住居跡や城壁跡が風化寸前になりながらもその姿を留めている。

 これまで楼蘭故城の写真は、約100年前に探検隊が撮影したモノクロしかなかったが、自治区博物館副館長同行というお墨付きのもと、自由に写真撮影ができた。

 日本人の撮影による楼蘭の写真は実はこれが始めてとなる。今でこそいくつもの旅行団が故城に入り、新たなルートも開拓されたようだが、私にとってはこれまでの人生最大の冒険として心に残っている。

楼蘭のシンボル・仏塔

終)

 
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