墓石という名の町 (1)
インディアンと呼ばれたひとびと
墓石という名の町(1)
墓石という名の町(2)

このところアジアの話が続いていたので、今回はアメリカの思い出について書きたいと思う。

 これまでアメリカには7回(延べ100日)ほど訪れ、ほぼ全米を一周した。ロスアンゼルスやサンフランシスコ、ニューヨークやマイアミ、ニューオーリンズなどの大きな街もそれぞれ魅力的だが、個人的には“グランドサークル”とよばれる、アリゾナ、ユタ、ニューメキシコ、コロラド4州にまたがる赤茶色の痩せた大地で暮らすネイティブアメリカンの集落を巡るのが好きで、これまでに4回訪れている。

先住民族

 “ネイティブアメリカン(NATIVE AMERICAN)”という言葉は、ここ10年ぐらいでようやく広まった言葉で、それまで北米の先住民族は“インディアン”と呼ばれていた。

 当時の世界の中心はヨーロッパで、世界の歴史はヨーロッパの歴史であった時代、東方貿易のためインドを目指していたコロンブスが、航海の末にようやく辿り着いた地図にないこの新大陸こそインドだと勘違いし、その先住民族を“インディアン”とよんだことに始まる。 

 先住民族にしてみれば、自分達が数百年も守りぬいてきた神聖な土地にいきなりズカズカとやってきた白人に“発見”され、しかも一方的に“インド人”と呼ばれた心情はいかばかりかと察する。その後入植してきたヨーロッパ人によって、肥えた土地はすべて取り上げられた上、時代遅れの武器しかもたない“インディアン”は、戦争にもことごとく負け、中西部に点在する“リザベーション”とよばれる、とうもろこししか栽培できないような荒れた保留地で現在も暮らしている。

 グランドサークル一帯には、現在もナバホ族やホピ族、ズニ族などのネイティブアメリカンの集落の他、白人と戦争した当時の砦や古戦場などの遺跡が数多く残っている。

高さ10mのサボテンが密生

 アリゾナ州南部、州第2の都市であるツーソンから I−10(国道10号線)を南下すると、ベンソンという小さな町からAZ80(州道80号線)を分岐する。そここから約70キロ先のメキシコ国境までの道は、“ミッションロード”と呼ばれ、入植したヨーロッパ人宣教師が、先住民族に布教するために建てた美しい数々の教会が立ち並ぶ。

 このあたりまで来ると、周囲は“サグワロ”という高さ10メートルを上回るサボテンが密生している。

 有名な西部劇 “エルドラド”や“リオ・ブラボー”“アリゾナ”などは、すべてこの付近で撮影された。

 また、この周辺には地下資源が大変豊富で、銀や銅の鉱山がそこかしこにある。ヨーロッパ人がこんな痩せた土地にまで入植してきたのは、すべてこの地下資源が目的で、現在もいくつかの鉱脈では採掘が続いている。

 AZ80を更に南下すると、ツムストーン(墓石)という名の町に到着する。ずいぶんぶっそうな名前だが、かつては“死ぬよりつらい”といわれた銀の鉱山があり、苛酷な自然条件とあいまって、たくさんの労働者が亡くなったばかりか、町を襲う“インディアン”とガンマンの対決なども頻繁に見られた荒野の町だ。

 
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