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墓石という名の町 (2)
OK牧場の決闘
墓石という名の町(1)
墓石という名の町(2)

ツムストーンという名の由来は、名もないこの荒野に最初に入植したエド・シーフェリンという実業家が、この付近の地表の色を見て“銀の鉱脈があるに違いない” と発掘を開始。
 アパッチ族の襲撃も激しかった当時、それを見た周囲の連中が、“ここで見つけられるのはお前の墓石ぐらいだ” と嘲笑したことによるといわれるが、1年後に彼は2つの銀鉱脈をついに発見し、あっという間に7,000人の人口を抱える町になったという。

OK牧場の決闘

 この町を一躍有名にしたのは、“OK牧場の決闘” である。
 保安官・ワイアット・アープとクラントン一家の間に、1881年に実際に起きた事件で、西部開拓史上最も有名な決闘といわれている。
 ツムストーンを訪れると、この決闘があった場所が最大の観光名所となっているが、実際に訪れてみると、正直 “あれっ?”という印象を受ける。
 サボテンが生える郊外の草原をイメージしていたのだが、実際は商店が建ち並ぶ町の中心部にそれはある。

 中に入ってみると、バレーコートぐらいの中庭にガンマンの人形が名札と一緒に並んでおり、
“最初に撃ったのは○○○だ! ○○○は何発目の銃弾で倒れた!”というアナウンスと共に、銃声がテープで流れるというものだった。
 ちょっと子供だましに遭ったようで、日光ウエスタン村の方がよほど迫力があるが、“OK牧場の決闘”は、英語名は “GUNFIGHT AT THE O.K. CORRAL” 。
 CORRAL(コーラル)というのは、直訳すると“家畜舎”であり、もともとは豚や牛などを囲った柵のことだ。“OK家畜舎の決闘”ではちょっと間抜けなので、“OK牧場”と訳したのだろう。

西部劇の世界を体感

 決闘で銃弾を受けてこの世を去ったクラントン一家の遺体は、郊外にあるブート・ヒルの丘に埋葬されている。この墓地には、インディアンの襲撃で殺された住民や、一攫千金を狙って流れ込んできたならず者やギャングとの決闘で死んでいった無名のガンマンなどが葬られており、ひとつの観光名所にもなっている。

 西部劇の世界をそのまま生で体感できる場所として、大変人気が高い。

 ツムストーンは、20世紀に入ると銀価格の暴落によって急速に衰退し始める。
 1万人近くまで膨れ上がっていた人口は、隣り町のビスビーで銅鉱山が見つかったことで大量に移動し、その後の大恐慌と2度にわたる大火事や大洪水などでほとんどゴーストタウン化してしまったが、近代アメリカ創世記の数々の伝説をもつこの町は、古い建物をそのまま保存し、西部の無法地帯だった当時の雰囲気をあえて復活させることで観光化に成功し、現在は年間20万人もの観光客が訪れるまでになった。

 しかし、O.K.CORRAL が「OK牧場」でないとすると・・・、

「あの人」の立場はどうなるのでしょう?

終わり

 
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