大好きなチベットの風景
はじめてのチベットで
はじめてのチベットで
高度障害と酸素吸入器
大好きな風景

 私がチベットに初めて入ったのは、もう20年も前のことになります。それまでのチベットは、中国政府による併合に伴う漢民族とチベット族の対立や、ダライ・ラマのインド亡命などで政情も治安も不安定で、外国人観光客が立ち入ることはできませんでした。

 当然ガイドブックなどというものもなく、資料は何もない手探り状態の中、1988年の夏、初めて外国人を受け入れることとなり、私は、その記念すべき最初のツアーの添乗員に抜擢されました。

(だいたいこの頃から、誰も行ったことがないところとか、危険を伴うようなツアーは、私が派遣されるというのが既定路線になっていたのです)。

 “初めてのチベットツアー”には約60名が集まりました。

 開放したばかりのチベットは当時最高級であった拉薩飯店(当時ホリディ・イン)を除いては、まだ漢民族の姿もまばら。
 街のいたるところで、ヤク(毛の長い牛)の糞を乾燥させて燃料をこしらえていたり。
 ヤクの皮と竹でできた粗末な手こぎボートで、対岸からヤルツァンポ河を渡って通勤する人々。
 巨大な中華鍋のようなBSアンテナ状の鉄板の内側にアルミ箔を貼り、反射した強烈な日光が集まるところにやかんを置いて湯を沸かす光景などがよく見られました。

澤当の子供たち
澤当の子供たち

 チベット仏教の聖地である大昭寺(チョカン)を、マニ車という“携帯用念仏唱え器”を持って参拝したり、五体投地をしながら数百キロの距離を歩いて巡礼してくるチベット族の姿には、宗教や信仰心というものの圧倒的なパワーを思い知らされました。
 チベットでは、すべての民が、現世よりも来世での幸福を祈って日々生きているのです。

(下の写真は、両手、両膝、額という身体の五部分を地につけて平伏して礼拝する五体投地)

五体投地
五体投地

 
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