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“ばくろうさん”のはなし

M..Nakamura

この15年来、年に何度かのペースで東北を訪ねているが、青森県や秋田県の町にはJRの駅と町の中心が離れている場所が結構多い。

秋田県能代市

秋田県の大館市

 地図を見てもわかる通り、秋田県能代市の場合、町の中心にある駅は五能線(ローカル線)の能代駅。東京や大阪からの列車も停車する奥羽本線の東能代駅までは距離にして約7キロも離れている。

 同じ秋田県の大館市だと、奥羽本線の大館駅は市の中心から約3キロ北だ。

 列車を利用する立場からすると、町に行くためにローカル線に1駅だけ乗り換えたり、わざわざバスで15分近くかけて移動したりと面倒なことこの上ないし、鉄道をひく際に、ほんの少しだけルートを変えてくれていれば解決していそうなものだが、これには“ばくろう”という職業と深いかかわりがあるという話を、たまたま地元の人から聞いた。


 奥羽本線が全線開通する1905年までの間、この地方の長距離交通手段は主に馬車鉄道。

 利用客は馬車を降りると、そこから離れた町までは、重い荷物を持って家までの長い道程を歩かなければならなかった。特に雪深い冬ともなると、足元の悪い道を重い荷物を背負って歩くのは大人でも大変なこと。

 そこで重宝されたのが“ばくろうさん”。漢字で書くと、“馬苦労”とも“馬口労”ともいうが、このばくろうさんは、その重い荷物を馬に背負わせ(または橇に乗せ)て、雪深い道を目的地まで運んでくれる職業の総称で、田畑での作業ができない冬の農家の副業としてもかかせない仕事であった。

 しかし、鉄道が全国に広がるにつれて、この北東北にも新たに鉄道の敷設計画が浮上。馬車鉄道の駅からも離れ、不便極まりなかったこれらの町としては、役場がある中心部になんとか駅を建設して、大都市である青森や弘前、秋田と鉄道で直接繋がることによって、町の更なる発展を目論んでいたのだが、そこに待ったをかけたのが“ばくろうさん”。

 町の中心に駅が完成し、新たに鉄道が開通してしまえば、住民の利便性は格段に改善されるが、それはすなわち“ばくろうさん”が仕事を失うことを意味する。危機感を募らせた“ばくろうさん”は組合を結成して町の中心部への駅の建設に強硬に反対し、行政と粘り強く交渉。

 その結果、地元農家の大切な冬の収入源である“ばくろうさん”の切実な願いは叶えられ、駅は町の中心から微妙に離れた場所に建設。“ばくろうさん”の仕事は守られたという。

 その後、大正から昭和へと移り、自動車が一般化したことにより、“ばくろうさん”は時代の波にのまれ消滅してしまったが、これまではただ“不便”としか感じていなかったこの地方の鉄道も、その裏にこのような物語があったことを知ると、“不便もまた楽し”である。

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