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北京であの頃オシャレな店

旅行業界が深刻なダメージを受けたSARSの嵐が過ぎ去ったあと、北京の旧市街に洒落たスポットが雨後のタケノコのごとく出現しました。時代は移り変わっていきます。当時の北京市民にとってこれらのトレンディスポットに対する評価はいかに?
では人民網
(2006-8-4)に掲載された無署名記事から見てみましょう・・・。題して「全北京最牛的5家飯館」。ここでの「牛」というのは、スゴイとか、ズルイとか、エラソーとか、そんなような意味があります。
記事原文は中国語ですが、SwanWEB編集部で日本語に訳しています。

【1】 新紅資(レストラン&バー)

北京東四九条66号。東四九条胡同に沿って、暗闇の中を東へ150mほど歩くと、黒い屋根瓦に朱塗りの門を構えた邸宅が見える。門の前には70年代の古い紅旗車が1台停めてあるだけで、看板はない。

入り口の扉を押し開ける。時代が止まったような、ひっそりとした息遣いに満ちた、こぎれいな四合院。母屋はバーにしつらえてある。家具はすべて、中南海でかつて使われていた、ひとりがけソファでさえホッキョクグマが2頭並んで座れるような旧ソ連式。どれもよく使い込まれて毛羽立っている。中南海の応接間で、歴代の国家指導者たちが座ったソファという。北側の部屋は食事用のメインルーム。高々と掲げられている五言古詩、頭の文字を取ると、新・紅・資 ―“新しい赤い資本家”の意味である。

料理人はかつて政府要人のおかかえコックだった人々。メニューには例えば、ケ家の“タウナギの辛味炒め”、揚家の“豆苗の酸味辛味炒め”、劉家の“牛肉の辛子炒め”などなど。その他にも、紅楼夢に出てくる劉婆さんが大観園で初めて食べた料理―“曹雪芹風ナスの蒸し物”なんかもある。この料理は糊の味、すこぶる不味くて、食べた人はたちまち誰でも劉婆さんに。

注意事項:(1)予約なしでは入れない。客は9割がた外国大使館員、グローバル企業の高等白人、外国メディアの駐在員。(2)料理の値段は高いので、現金を多めに用意すること。カード不可。

【2】 四合苑


紫禁城から東へ50m、東華門95号にある。1階は洋食を主とした古めかしいホール、中に入ったらまず左手の二人がけ席をめざして突進すること。この特等席はすぐ目の前が紫禁城の東華門なのだ。夜ならば窓から真っ暗な城門楼が見え、かつての文明古国をほうふつとさせ、いかに高慢な女でもこの窓際席に座らせればおとなしくなる。(初回限定)。

2階は小さなバーだ。6、7人しか座れない。窓からは故宮の角楼の鐘が見える。過去のあれやこれやが頭に浮かんでくる。いにしえの北京にタイムスリップするのも一興であろう。地下には30平米ほど広さの画廊がある。ある種の新進アーティストたちにとっての聖地だ。一般人が理解できるような作品は、ここには展示されていない。

注意事項:(1)ここで芸術家を気取るまえに、まず英会話を復習しておくこと。店のマネージャーは白人のアメリカ人、映画『ニューヨークの北京人』で姜文にボコボコにされていたデイビッドに似ているが、この人が話せる中国語は、「こんにちは」、「お金を払って」」「値引きなし」のフレーズのみ。 (2)親米主義者が行くべき店。義和団の遺風を持つものは家で休んで下さい。コック長もオーナーも米国籍の中国人で、“911”があってからというもの、目をまっかに腫らして客に向かって“米中友好”を熱く語り、灯りをつけるだの消すだの、という話になると、歯軋りして罵りはじめ、(編集注:テロ首謀者とされている人物の名が、灯りをつける“拉灯”の音に近いのでこのように揶揄か)反米主義者の食欲を減退させるのに十分である。 (3)外国人が多すぎる。しかもほとんど中国通なので、注意すること。彼らを風刺するときは方言を使うほうがよい。


【3】 紫滕蘆


紫東華門から西へ向かう。世界の三大テノールが声をはりあげて外貨をふんだくった場所〜故宮の午門広場を、夜の夜中に通り抜ける。あたりを見渡せば、高々とそびえる赤い壁、不気味に静かな牌楼、空のかたすみには三日月が懸かり、夜に鳴くカラス・・・接吻するには最高の場所だ。西華門まで歩いてくると、道のわきに赤っぽい色の旗が街灯に照らされてだらりと風になびき、そこにただ一文字、“茶”。

紫滕蘆にはいると、オーナーが中国各地から集めたという骨董家具の数々。村娘みたいな小姐が出てきて、目の前で扇子をバサッと広げると、そこにメニューが書かれている。料理はどれもそこそこよくできている。腹いっぱいになるのは望めないが、それでも新茶の碧螺春を頼んで、紹興酒をお燗してもらい、千切りショウガや話梅を肴に、時代物の屏風や椅子に囲まれて、ボソボソ仲間内のバカ話に興じるのもまたおつなもの。

注意事項:(1)中にはいったら室内の茶や掛け軸については、できるだけわかるふりをすること。この世にはもともと分かっているものなどはない。わかったふりをし続けていれば、それがつまりわかったということであるといわれている。 (2)ご主人は台湾の人。ここでは風月を語るのは宜しいが、風雲は語らぬように。


【4】 后海銀錠橋酒巴


このバーには名前がない。看板も出ていない。オーナーの姓は白さんという。とにかく変わっていて、たとえバーの中がカラッポだったとしても、あなたの姿は眼中にない。予約なしで来ようものなら、たとえあなたが李嘉誠のいとこでも、一律、「席はないです」。

ここは木造の旧式建築、斜めに渡された古いアーチ型の石橋、南側には昔風の木枠の窓が並び、后海の反対側の古い木立からのぞき見えるひんやりした月、きりりと光る池の水、しみじみと往年の老舎が偲ばれる。仲間同士、老舎のために乾杯・・・と4、5杯干したところでやっと我に返る。・・老舎はここで死んだわけじゃないだろう。勘違いするところだった。

盃を掲げて望めば、月光の下にきらめく什刹海(シーシャーハイ)の湖水、后海にかかる橋は銀色に光る。宋慶齢の旧居、郭沫若の旧居、葉剣英の旧居などがほとりに点在し、もう少し先に行けば、恭王府(清朝の皇族の館)や輔仁大学跡もある。こんなバーでしんみり酒を飲めば、なぜか気分はすっかり没落貴族である。「ナニナニ、三里屯?教えてあげましょうか、あそこは農民が寄り集まる場所ですよ。」

注意事項:(1)見栄をはってはならない。ここではボーイさえも旦那様。気に食わなければ、どう叫んでも知らんぷりされる。とっつかまえて正すと、にこりと一言、「悪いね。ちょっと耳が遠いもんで。」 (2)“便”は便利ではない。あまりにも狭い。ひとつの選択としては、7、80m先の胡同区の公共トイレを使う。が、建築士の設計に従えば、この厠に入った者は北風を真に受けて用を足すほかはなく、真冬など、湯気をたてて放尿したあとはぶるぶるっと5、6回震えがくる。飲むならいっそワインに変えて、新陳代謝の回数を減らすのがよい。


【5】 羊房胡同十一号


看板は出ていない。が、道端に、かろうじて読める程度にくねくね曲がった字で、赤く“羊房胡同十一号”と書かれた表札がある。入り口から入っていく。北京で最も有名な宮廷料理―“脂ニ菜”を味わえるところである。が、予約をして行かなかった場合、この手の店は当然ながら、スミマセン、生唾のみこんでお引き取りください、なのである。

この小さな四合院では、最初のころは一日1卓分(10数名分)の料理しか提供していなかった。一律200元。現在では、もう一部屋増やして、小さいテーブルを2つ足したが、それでも多くても1晩で20名くらいなものである。オーナーの事黷ウんは、旧清華大学の建築科卒。80いくつになる資P鱗教授、客が食事に没頭していると、そっと大またで近づいてきて、まるで家宝を数えるように詳細に、料理の講釈を垂れる。なにしろ脂ニ菜は、このお爺さんの祖父――西太后の内務府大臣であった誌慶―が好んで食べた家庭料理なのである。脂ニの人々が代々、食べながら、吟味を重ねながら、(大清国がどうやって亡んだかはご存知のとおり)、そうやって今日の脂ニ菜が形成されたというわけだ。

壁に飾られている写真を見ると、世界中のほとんどの先進国と、一部の発展途上国の駐中国大使夫妻が、この店で食事をしているようである。

注意事項:(1)脂ニ菜は、あまりおいしくはないが、特色がある。この店には行かなければいけない。だが、何度も行ってはいけない。(2)脂ニは旗人でしかも正真正銘の末裔だから、食事の際の言行は民族団結につとめること。漢民族第一主義をはやし立てたりしてはならないし、料理を食べ終わって口をぬぐったとたんに“揚州十日”や“嘉定三屠”などの歴史事件を持ち出して支払を拒絶するなどはもってのほかである。

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