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 ホーム > SWANフォトギャラリー > 仏跡巡礼の旅シリーズ > (3)釈尊の出身地・カピラ城
(3)
釈尊の出身地・カピラ城

ルンビニー出生した釈迦族の王子(後の釈尊)は、シッダールダと名付けられた。釈迦族の都があったのがコーサラ国に属していたカピラヴァストゥで、東西80キロ、南北60キロの小国の中心にカピラ城があった。

シッダールダはこのカピラ城で幼少期を過ごし、一族の太子として、学問や武芸に秀でていたが、ある農耕祭の日、昆虫が小鳥に食べられ、更にはその小鳥が大きな鷹に襲われるという様子を目にし、弱肉強食の現実を思い知り、如何にすればすべての生物が、平和で平等な世界が得られるかを考えるようになり、常に瞑想に耽るようになった。

その様子を見て心配した父親のシュドーダナ王は、ヤショダラ姫と成婚させ、華美な生活を与えたが、それに満足しなかったシッダールダは、人生の苦悩を解決し、自分の理想像を見出すために29歳で出家。たった一人でカピラ城を脱出し、厳しい修行生活に入っていった。

釈尊入滅後のカピラ城跡には、多くの僧房やストゥーパが建てられ、仏教徒の巡礼地として栄えたが、ヒンドゥーやイスラムの影響が強まるにつれて忘れ去られるようになり、現在見られる姿はそのほとんどがイスラムによって破壊されたもの。

また、仏跡のほとんどが発掘によって明確にされているのに対し、このカピラ城だけは未だにその場所が確定していない。中国から留学した法顕と玄奘の記録に相違があったためで、ここから約30キロ離れたネパールにもカピラ城とされる遺跡が残されている。

いずれも発掘はされたものの決定的な証拠は得られておらず、愛国心も絡み、現在も見解が異なっている。


◎カピラ城と僧房跡 (インド側)

仏跡巡礼シリーズ

写真:M.Nakamura
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