その様子を見て心配した父親のシュドーダナ王は、ヤショダラ姫と成婚させ、華美な生活を与えたが、それに満足しなかったシッダールダは、人生の苦悩を解決し、自分の理想像を見出すために29歳で出家。たった一人でカピラ城を脱出し、厳しい修行生活に入っていった。
釈尊入滅後のカピラ城跡には、多くの僧房やストゥーパが建てられ、仏教徒の巡礼地として栄えたが、ヒンドゥーやイスラムの影響が強まるにつれて忘れ去られるようになり、現在見られる姿はそのほとんどがイスラムによって破壊されたもの。
また、仏跡のほとんどが発掘によって明確にされているのに対し、このカピラ城だけは未だにその場所が確定していない。中国から留学した法顕と玄奘の記録に相違があったためで、ここから約30キロ離れたネパールにもカピラ城とされる遺跡が残されている。
いずれも発掘はされたものの決定的な証拠は得られておらず、愛国心も絡み、現在も見解が異なっている。
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