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フォトレポート

インド仏跡巡礼シリーズその11

釈迦入滅の地 クシナガル

すでに80歳を迎えていたとされる釈迦は、マッラ国のクシナガルに向かう途中、豚肉やキノコを材料にしたスーカラマッタヴァという料理を食べた後に激しい腹痛を訴え、近くの沙羅双樹の林に横たわった後、そのまま入滅(死亡)した。

釈迦は入滅の直前、傍らで嘆く弟子のアーナンダに向かって、

“私がこの世からいなくなっても、これからは私がこれまで伝えてきた真理と戒律がお前たちのよりどころになるのだ。”

“あらゆるものは最後には移ろい滅びていくものだ。これからも怠ることなく精進努力して努力を続けるように。”

と言い、静かに目を閉じたと伝えられている。

釈迦の死後、その遺体はマッラ族によって火葬され、遺骨や遺灰は帰依していた国々に分与され、各地に仏舎利塔や仏塔が建立された。

クシナガルの東郊外には、釈迦の遺体を荼毘(火葬)したラーマバル・ストゥーパ(荼毘塔)がある。

基壇の直径約46メートル、高さ約15メートルの大きなストゥーパで、夜明け前からたくさんの人々がお経を唱えながら時計回りに巡礼している。

基壇の直径約46メートル、高さ約15メートルの大きなストゥーパで、夜明け前からたくさんの人々がお経を唱えながら時計回りに巡礼している。

このラーマバル・ストゥーパから1.5キロほどのところにあるのが、釈迦が入滅した姿を表した涅槃像を納めたマハーパリ・ニルヴァーナ(大涅槃寺)。

クシナガル一帯はいくつかの河に囲まれているので、早朝には霧が立ちこめることも多く、それが余計に神秘的で神聖な印象を醸し出してくれる。

大理石造りの涅槃堂に安置されている全長6.1メートルの涅槃像は、釈迦が最後の沐浴をしたといわれているヒラニヤヴァティー河の河床から1876年(1851年とも)に発見されたもので、当時は赤砂岩のものだったが、1956年の仏滅2500年大祭の際、ミャンマーの仏教徒たちによって黄金色に彩色されてしまった。

この涅槃像は北枕で置かれており、これは、北方にある郷里のカピラ城の両親に対して足を向けて寝てはならないという尊敬の念からのもので、仏教の根本は親孝行から始まるという教えでもある。

釈迦入滅後、弟子たちは亡き釈迦を現世における唯一の仏と慕い、これまでに説かれた教えと戒律を結集して、数多くの経典を著し、その教えは現在まで脈々と伝えられている。

終わり

(撮影: Nakamura)


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