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地図から消された島 A

世界唯一の毒ガス資料館

 まずは埠頭からの無料送迎バスで世界唯一の毒ガス資料館へ。

 島で製造された毒ガスや工場の概要、製造過程の説明、工員が着用していた防護服の他、漏れた毒ガスで皮膚や体内に障害を負った工員の写真、実際に日中戦争で使用された際の写真など、かなりショッキングな展示物が陳列されている(撮影・模写は禁止)。

毒ガス資料館と展示物

 大久野島には、竹原市周辺の多くの少年少女が工員として送り込まれたが、そこで従事させられた内容は極秘事項とされ、家族にも口外することは厳しく咎められたという。

 島内は、徒歩でも1時間半程度で周ることができる。その遊歩道沿いには、興味深い歴史遺産をたくさん見ることができる。

■旧軍発電所跡
 
毒ガス製造のための電気を供給していた発電所跡。当時は8基もの発電機がフル稼働しても追い付かず、本土から海底ケーブルで送電されていたという。

 外部から見つけられないよう、盛土で周囲を囲まれている。残留化学物質がある可能性があるので立入禁止。

■砲台跡
 
島内には、煉瓦とセメントで強固に構築された砲台跡がいくつも残っている。実戦使用されたことはないらしく、保存状態は極めていい。

■長浦貯蔵庫跡
 
島内最大の毒ガス貯蔵庫で、外部から見えないよう、谷間に隠れるように建設されている。敗戦後、米軍が火炎放射器で毒ガスを焼却処分したため、内部の壁には黒い煤が残っている。既に50年を経ているが、現在もなお残留化学物質の恐れがある。


戦争と平和

 終戦後、島内にあった毒ガスは、証拠隠滅のために海洋投棄や焼却、防空壕への埋設などによってすべて処理されたといわれているが、島の至るところに残る施設にはいまだに残留化学物質が残っているといわれているし、対岸の竹原市などには、毒ガス製造にかかわった当時の工員の一部が現在も後遺症で苦しんでいるという。

 現在、この大久野島は、住民こそ兎だけだが、島全体が国民休暇村となっており、夏のシーズンには毎日たくさんの海水浴客が訪れている。また、島の最高地点(海抜約100メートル)である山の頂上には整備された展望台があり、穏やかな瀬戸内の眺望を楽しむことができる。

 この風景を見ていると、まさかここに世界一の毒ガス工場があったとは想像もできないが、瀬戸内海のど真ん中で、呉や尾道からもほど近いこの平和な場所に、まだこのような戦争の負の遺産が残されていることを考えると、まだ日本の戦後は終わっていないのかも知れない。

終わり

(2010.1.12 / M.Nakamura)

 
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