それはこういうことだった。タクラマカン砂漠に点在する兵団(○○団)には、政府の募集に応じて、新天地を求めて入植した人々がいる反面、各地の犯罪者の“流刑”地として強制的に行かされた人が相当いるらしい。また、最近は顔がバレるとヤバイ犯罪者が自ら逃げ込んでいるケースも多々あるという。
数年前に、この噂を聞いたイギリスのジャーナリストが、隣の33団に許可なく訪れ、街の様子や人々の顔写真を多数撮影し、本国のマスコミを通して発表したことがあった。
その内容は、地名こそ掲載されなかったものの、新疆各地に展開する兵団が、“希望の入植地”とはかけ離れ、実態は “流刑” や “強制労働” などの “中国の暗部の象徴” である・・・といったようなものだったため、イギリスの中国大使館から北京経由でチェックがあり、何も知らなかった33団の公安は、大粛清を受けた。
それ以降、南疆の各兵団は、外国人の立入や写真撮影に対しては異常なほど過敏になったのだという。今回は、立ち寄った目的があくまでも食事であったことや、ここで撮影した写真を公表しないこと、食事が済んだらすぐに立ち去ることを条件に、ようやく解放されたということだった。(時効なので写真は公表しますが)
西部大開発の波に乗って、次々と入植者が送りこまれている“兵団”。イギリスのジャーナリストのように、これを “暗部” と言ってしまっていいものかどうかは別として、彼らは日夜、過酷な自然と向き合いながら、砂漠の治砂のために想像を絶する闘いを続けているのだった。■

1994年当時