当時のインドは紀元前15世紀頃から流入してきたアーリア人によってほぼ支配されており、土着の民族であったドラヴィダ人は、侵略者であるアーリア人により新たに作り出された階級制度、悪名高きカーストによって強制的に奴隷化され、人間としての扱いすらされなくなった。
その苛酷な支配から逃れるために、ドラヴィダ人達は南へ南へと逃亡を続けた。いつしか肌の白いアーリア人が侵入してきた北の方角は尊いとされ、その対極である南インドは、肌の黒いドラヴィダ人が多く集まる場所として蔑まれるようになった。
アーリア人達の都合のいいように作られたヒンドゥー教の中では、ドラヴィダ人はあくまでも、奴隷や不可触民(アンタッチャブル)であり、決して幸福になることもないし、存在すら認められることがなかった。
が、ほうほうの体でようやくたどり着いた南インドで初めて出会ったキリスト教は、カーストに関係なくすべての民に優しく接し、食事や現金を平等に分け与えた。
また、識字率もほぼゼロだった彼等に文字を教え、教育を施した。初めて人間として扱われた彼らがキリスト教に改宗していったのは当然といえば当然の成り行きで、自然とこの地域のキリスト信者は次々と増えていった。インド全体の識字率が65.38%といわれる中で、現在このケララ州の識字率は100%を誇っている。
ケララ州を旅すると、数百メートルおきに特徴のある教会や、町に入口に立つキリスト像を目にする。石造りの立派なものから、小さな町の集会所のようなものまで様々だが、大切なコミュニティとして機能しており、派手さはないが、建物を見るだけでもとても楽しい。
ケララ州で見かけた教会の数々






さすがに現代では、長い間インドを支配していたカースト制度が差別の要因となるケースはだんだん減少してきており、平和裏に多くの宗教や民族が共存できるようになった。
特にケララ州では、宗教の垣根を越え、ヒンドゥー教の子供たちがクリスマスを祝ったり、キリスト教の人々がヒンドゥーの祭りに参加する姿も見られるという。
現代インドでは、いかなる人に対しても信教の自由が保障されていて、他人に対する信教の侵害がないことを前提に、布教も自由にできる。
過去、インドの首相にはイスラム教徒から4人も出ているし、インド経済の雄・タタ財閥はゾロアスター教を信仰していることで知られる。
多くの神々が混在するインドの懐は実に奥が深い。■
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(左)ケララ州の教会で出会ったクリスチャンの女性
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終わり
(2009.11.6 / M.Nakamura)
スワン・ツアーのご案内
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2010年1月12日出発 6日間コース
金環日食と、南インドの魅力ある観光地も楽しめるコースです。
2010年1月14日出発 4日間コース
日食観測に的を絞ったコンパクトなコースです。 |
左記ツアーは終了いたしました。
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