タクラマカン砂漠探検 (1)
“一度入ったら二度と出られない”・・・・
タクラマカン砂漠探検 (1)
タクラマカン砂漠探検 (2)
タクラマカン砂漠探検 (3)
タクラマカン砂漠探検 (4)
タクラマカン砂漠探検 (5)
タクラマカン砂漠探検 (6)

■“世界第2の面積をもつタクラマカン砂漠。実は “タクラマカン” は、ウイグル語で “一度入ったら二度と出られない” という意味をもつ。

 その風景は、まさに “死の砂漠” であり、見渡す限り続く殺伐とした砂の海は、そこに立つ者を、たちまち絶望の淵に追い込んでしまう。

 唐の時代に入ると、東西交易の大動脈としてシルクロードが開かれ、いくつもの交易路ができたが、それでもタクラマカン砂漠はシルクロード最大の難所として立ちはだかった。春の砂嵐、夏の酷暑、そして厳寒の冬....。

 これまでどれだけの人間がこの砂の海に挑み、そして敗れ去っていったことだろう。

 その中で、タクラマカン砂漠の東縁・天山山脈の南側にひとつの国が出現した。

 そこは、たくさんの緑に覆われ、豊富な水をたたえた湖では渡り鳥が羽を休め、巨大な魚を求めてたくさんの漁師が暮らし、町はキャラバンが運んできた絹や宝石で満ちていた。命を賭けてタクラマカン砂漠を越えてきたキャラバンを優しく迎え、これから死の砂漠に向って旅立つ人々には最後の補給の地として鋭気を与えていたオアシスの国、その国の名は “楼蘭(ろうらん)”。

 実は楼蘭という国は歴史書にもほとんど記述がなく、忽然と歴史から消えた “幻の王国” としてヨーロッパの一部の探検家の間で噂されるに留まっていた。

 が、1900年にスウェーデンの探検家に初めてその存在が確認されてからは、イギリスや日本の大谷探検隊などの6つのキャラバンが競って遺跡を目指し、数々の発掘品(略奪品?)を持ち帰り研究を続けたが、現在でもまだその全容は解明されていない。

そんな中、1994年と95年、私は幸運にも機会を得、7番目のキャラバンとして楼蘭を目指すことになった。

 楼蘭に行くには、まず新疆ウイグル自治区の区都・ウルムチから天山山脈を越えてコルラへ南下し、更にタクラマカン砂漠の東縁に沿ってチャルクリク(若羌)へ向う。

 そこから先は人はまったく住んでいないため、若羌にて食糧や水を補給し、町唯一の招待所にベースキャンプを設置、人民解放軍から借用した定時連絡用の無線を受信するためのアンテナを屋上に張り巡らせた。

 万一定時連絡が連続して2回途切れた場合、遭難の可能性から速やかに軍の救援ヘリを要請するため、ベースキャンプには2名が残った。

 
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