タクラマカン砂漠探検 (2)
“一度入ったら二度と出られない”・・・・
タクラマカン砂漠探検 (1)
タクラマカン砂漠探検 (2)
タクラマカン砂漠探検 (3)
タクラマカン砂漠探検 (4)
タクラマカン砂漠探検 (5)
タクラマカン砂漠探検 (6)

■ここからは10日間のキャンプ生活となる。石油探査のために特別に設計された砂漠車を借り切り、荷台にはガソリンや飲料水、テントや寝袋をはじめ、たくさんの食材(野菜、肉、米、ナン、ソーセージ、チョコレートなど)を積み込んだ。全部で12名、砂漠車3台、ランドクルーザー1台のキャラバンでの出発だ。

食材その1: 鶏は生きたまま連行、必要に応じて屠とす。

食材その2: 羊は“砂漠の缶詰”の異名をもつほど長期間腐らない。重要なパワー源。

 チャルクリクを出発し、最後のオアシスとなるミーラン(米蘭)へ入る。ここはかつて中国が核実験を行ったところに近く、その放射能の影響で、ここで暮らす人々は白血病の発生率が非常に高いという。念のため日本からガイガーカウンター(放射能測定器)を持参し、いくつかの地点で計測したが、現在はもう残留放射能はなかった。

 ミーランの集落を抜けると、周囲はすべて砂の海。何百年もの間、ずっと強い風に晒されて残骸となってしまった米蘭遺跡の仏塔や寺院跡を横目に見ながら進んで行く。

 既に道路の舗装も終わり、立つだけでくるぶしまで埋まってしまうような砂漠で、希に通る車や馬車が残した轍を選びながら東進すると、やがて砂漠は礫漠に変わり、夏の間の無数の洪水の跡が幅数百メートルもの窪地となって行く手を阻んでくる。

 そして、青海省との境界となるアルティン(阿爾金)山脈の峠に差しかかると、腕時計に内臓されていた高度計はぐんぐん上がり、海抜0メートルだった砂漠から、あっという間に高度1800メートルまで達し、30分ほど前まで30℃あった気温は12℃にまで下がった。

 しかしこの道は敦煌まで続く “国道”。まともに前進できるだけましである。そして、アルティン山脈を下りきったところで国道を外れ、いよいよ道なき道へと分け入って行く。

 しばらくは干上がった河底を北上するが、やがてそれも終わり、周囲に何の目標物もなくなった砂漠では、太陽とGPS(衛星ナビゲーション)だけが自分の位置を知る手がかりとなる。

 GPSとは優れたもので、今でこそ乗用車にも装備され、行きたいところにボタンひとつで誘導してくれるが、当時はまだ、米軍の歩兵部隊が使用していたものが改良され、ようやく一般に出回り始めた頃である。

 砂が磁気を含んでいる砂漠では方位磁石は役に立たない。ほんの電卓程度のこの秘密兵器が唯一の命綱だ。

右上タイトル写真の説明:
アルティン山麓でのキャンプ風景。珊瑚草のような紅い植物がきれいだった。左には塩の河がある。海水の数倍しょっぱい。
 
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