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■ “ヤルダン” とは、タクラマカン砂漠でしか見られない独特の風蝕地形で、一年を通して天山山脈から吹き降ろされてくる強烈な北東の風によって大地の岩盤が削られ、広大な範囲にわたって北東から南西へと無数の窪みや亀裂が荒れた波のように走っている。
砂漠の南側から北上して楼蘭を目指している我々にとっては、ヤルダンは進行方向にほぼ直角に流れており、その強固な窪みを乗り越えていかないことには前進できない。
ヤルダンは、高さ数十センチのものもあれば、十数メートルにも達するものもあり、ランドクルーザーも砂漠車も、車体を大きく傾け、少しでも岩の流れが緩やかなところを選びながら、大きく蛇行してゆっくりとゆっくりと進んでいく。
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それでも少しでも油断すると、タイヤがヤルダンの隙間のやわらかい砂に埋まったり、車体の腹が大きなヤルダンに乗り上げてしまい、まったく身動きが取れなくなったりという状態が続き、その度にショベルで砂を掻き出し、ラダーを敷き、砂漠車のワイヤーウインチを使って車体を引き揚げたりを繰り返した。
かつてのタクラマカン砂漠最大の難所は、現在もその姿は変わっていない。
ランドクルーザーに乗っていた私は、何度もガラスに頭を打ち付け、軽い脳震盪をおこすほどであった。ヤルダンと格闘したこの2日間は、日の出から日没まで1日12時間近く前進したにもかかわらず、直線距離にすると僅か2キロしか進んでいないという有様だった。
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我々の行く手を拒み続けたヤルダン地帯も終わりに近づいた頃、我々の視界に突然1台の車が出現した。
出発前の情報では、我々の他にこの砂漠に入っている探検隊はいないはずだ。
注意しながらゆっくりと近づいて見ると、それは朽ち果てたジープだった。車体は錆つき、タイヤの空気は既になく、ガラスは割れていた。恐る恐る車内を除くと、タバコのカラ箱やソーセージのセロファン、ミネラルウォーターの空ボトルが雑然と散らばっていた。
誰かに乗り捨てられたものかと思ったが、車の反対側に回ると、胡楊の枝に縛り付けられた赤い旗が風で倒されており、明らかにこのジープがSOSを発信していたことを物語っていた。
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